エスプラネードパーク「Forging the Nation」石碑 と『The LKY Story リー・クアンユー物語 :国家を創った男』
もうシンガポールに住んで3年目にもなるのにこの国のこと全然勉強できてないなと感じて、
ハードル低いところから始めようと思い立ってリー・クアンユーの伝記漫画を読んだ(Kindleで)
小学館が2016年に出した本で、生い立ちからシンガポールの独立までの半生が描かれている。
なんとなく人から聞いて知っていた情報(英語を話す家庭で育ってイギリスの大学を出ていて弁護士で〜とか)もあったけど
やはり彼が政治に関わり始めてから独立までの過程がわかりやすく纏まっていたのがお気に入りポイント。
今まで、独立に至るまでにぶつかってた政治的主張っててっきりマレー人vs中華系っていう構図だけなのかと思ってたけど
そこに共産主義者vs反共っていう構図もあったのには全く思い至らなかった…。
でも言われてみれば確かに中国は毛沢東の時代で反対勢力をゴロゴリに粛清していってて且つ文化大革命前夜くらいの時代のはずで(うろおぼえ…)、
シンガポールが中国の息のかかった共産主義国家(かもしくはその隠れ蓑)になるのかどうかっていうのも
重大な問題だったんだなぁと気付かされた。
共産主義といえば、エスプラネードパークにある記念碑が今までどうもしっくりきてなくてブログにあげるの後回しにしてたんだけども
こういう背景を知ってから改めて読むと「なるほどね」となってくる。
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全体
拙訳ながら;
「国を拓く」
マラヤ共産党の暴力と破壊に対するシンガポール人の闘争 1948−1989
第二次世界大戦後、共産主義はアジアで勢いを増していた。
シンガポールでは、英国からの独立に向けての戦いは民主主義的方策を好む人々とマラヤ共産党(CPM)支持者の間の重大な闘争を包含していた。
CPMはシンガポールを含む英領マラヤでの共産主義体制の実現を目指していた。
CPMは1948年6月に武力闘争を始め、植民地政府はこれを受けて非常事態宣言を出した。
争乱の鎮圧までに8,000人の市民や保安要員が殺傷された。
シンガポールでは、CPMは自らが指揮していた統一戦線 と共に暴力と破壊の組織的運動を開始し世間に不安を広め、多くの無辜の市民の命を奪った。
共産主義勢力はシンガポールとマレーシアの独立後も長く存続した。
1989年12月2日、Haadyai Peace Agreementへの署名を以てようやくその脅威は終わりを迎えた。
この碑は、断固として共産主義を拒み、独立と建国へむけての民主的且つ非共産主義的道のりを支持したすべてのシンガポール人に捧げるものである。
彼らの勇気と犠牲は、のちの世代が平和・調和・躍進を遂げるための道筋を照らした。
…背景知識がなく訳するのに1日かかった…。
特に「統一戦線」あたりで引っかかり、これらのリンクを読んで参考にした。
http://jams92.org/pdf/MSJ07/msj07(079)_matsuoka.pdf
将来こんなにアジアどっぷりな生活になるなら大学の時にもっと関連講義取ったのになーと思いつつ、
今更後悔しても遅いので1個1個勉強していこ。