猫、タイ暮らし、時々旅行

猫を覗く時、猫もまたこちらを覗いているのだ

ラブラドール砲台(10)とケッペルハーバー(12)

以前も書いたが、島内20箇所に戦争・戦跡について説明する石碑がある。

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今まで

15:YMCA脇(憲兵隊)

16:キャセイ脇(プロパガンダ放送拠点)

13:チャイナタウン(粛清 大検証)

17:エスプラネードパーク(インド国民軍)

は行ったものの、止まっていたので今日新たに5箇所目&6箇所目へ。

(14番、フォートカニングパーク何度も行ってるのに気づかなかった…どこなんだろ)

ということで

10:ラブラドールバッテリー

12:ケッペルハーバー

へ。まずは電車でハーバーフロント駅へ。

Vivoシティの中を抜けて海の見えるboard walkへ。

はじの方にひっそりと。なんと、本の形をしていないw

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もう少しアップ。

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“ケッペル港は、19世紀後半から国際貿易の海の玄関口として栄えています。

当時ニュー・ハーバーとして知られていましたが、1900年にヘンリー・ケッペル提督に敬意を表して

ケッペル港(ケッペル・ハーバー)と改名されました。

1939年から1940年代初めにかけて、連合軍の兵士が、シンガポールとマラヤの防衛を強化するためにこの港を使いました。

1942年2月15日にシンガポール陥落前には、何千人もの民間人と軍隊がケッペル港を通り脱出しました。

第二次世界大戦中、連合軍は1943年9月26日から27日にかけて、ジェイウィック作戦(昭南港爆破事件とも呼ばれる)を実行し、

ケッペル港に停泊していた7隻の日本戦を破壊しました。”

 

ジェイウィック作戦はナショナルミュージアムに動画があった。

連合軍に情報を漏らした奴がいるのではと疑って、日本軍が捕虜収容所で捕虜やローカルの勤め人を尋問・拷問した、と。

 

今は楽しいセントーサ島を臨み、買い物客がちょっと休憩する憩の場に…幾星霜ってかんじ。

 

そして今気づいてしまったけど…

石碑の数増えてない…?

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ここには30まで書いてある‥マジか…20じゃないのね…

全クリア目指そ。

 

さて、ここから歩いてラブラドール砲台を目指す。

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途中ずっと海沿いで気持ちよかった!

こんないい散歩コースあったのか、、、

 

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波の音が聞こえて素敵。

 

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謎の古めかしい階段。。。

場所的にはケッペルクラブの隅っこだけど。昔使ってたのかな。

 

そしてラブラドールパークへ。

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子供たちが遊ぶすぐ脇にこんなものが。。。

 

ここでマシンガンを撃って敵の上陸を阻止するのね。

 

“It was conceivable that the enemy might land commando-type units along the coast to put the Singapore guns out of action.

Thus the coastal guns had heavily fortified beach defences consisting of machine gun posts, search lights and barded wire. 

Any attempt to enforce a landing would have been very costly in terms of injuries and loss of life.

The machine gun bunker provided protection for the soldiers within.

The conditions in which they operated were very difficult.

The position was generally hot and cramped.

This bunker was sited to protect the 12-pounder guns on Berlayer Point-on the hill right above.

Another machine gun bunker is located behind the public toilet further down, along the foot of the hill.“

 

拙訳ですが…

 

シンガポール側の銃器を無効化するため敵軍が沿岸に奇襲隊を送り込むことが想定された。

かくして、マシンガンポスト、サーチライトと有刺鉄線でビーチの守りを堅固にした。

いかなる上陸実行の試みも、死傷者という点で犠牲の大きいものになっただろう。

機関銃掩蔽壕は中の兵士らを保護した。射撃中の環境は困難なものだった。暑くて窮屈であった。

この壕は、右の丘のBerlayer Pointにある12ポンド砲(おそらくこれ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/QF_12ポンド_12cwt艦砲 )を守るために作られた。

もう1つの機関銃掩蔽壕はさらに丘の下をいった先にある公衆トイレの後ろにある。

 

Berlayer Point、おそらくこれのことか。

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丘の上に何かがあるなぁと思って写真撮ってた。

ここに続くであろう道は立ち入り禁止になって、有刺鉄線が貼られていたので行けなかった。

 

っていうか本の石碑どこ?と思っていたらマップ発見。書いてあった。

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さて、一路本の石碑を目指して歩く。

 

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雰囲気のある道を通っていく。ずっとコンクリ舗装されてて歩きやすい。

 

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古くは1878年に設置され、種類やら数やら変更されていったらしい。

でも今の形式に沿う計画書が見つかっていないそうな。

 

もう少し歩みを進めるとついに登場。

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''In 1878 the British constructed an artillery fort on this ridge to defend the western entrance to Keppel Harbour.

On the end of World War II, Fort Pasir Panjang had two large six-inch guns.

These 37-ton guns fired 102-lb shells over a range of 10 miles.

The popular belief was that these guns were fixed to face only towards the sea.

However, they could be, and were, turned around to fire on advancing Japanese troops.

Fort Pasir Panjang on Labrador was one of a series of 11 coastal artillery forts by the British in the 19th century to defend Singapore's waters.

Other forts were on Sentosa, Palau Brani, Fort Canning Park and Katong.

These forts showed how the direction of potential threats to Singapore changed over the years."

 

1878年、イギリスはケッペルハーバーの西側を守るために砦をこの峰に作った。

第二次世界大戦の終わりにはパシルパンジャン砦には2つの6インチ大砲があった。

これら37トンの大砲は102ポンドの弾を10マイル先まで飛ばせた。

大砲は海側を向いて固定されていると広く信じられてきた。

しかし、実際は旋回可能であり、日本軍の進軍へ向けて向きを変えられた。

ラブラドールのパシルパンジャン砦は、シンガポールの海を守るためイギリスが19世紀に11箇所作った沿岸要塞のうちの1つである。

他はセントーサ島、ブラ二島、フォートカニングパークとカトンにあった。

これらの砦はシンガポール攻撃の想定脅威がどのようにして年月をかけて変わっていったかを示している。

 

確かに、日本軍の上陸は島の北西からだったし、そもそも19世紀にはまさか日本と戦争するなんて想像だにしていなかったろうな。

もう大砲を使って戦争する時代でもなくなってきてしまったけど、でもこうして残しておくのは大切。

昔何があったのかを知るきっかけになる。まさに私がやっているように。

長い道のりだけど、でも石碑がある場所全クリア目指そう。