ジュロン・クランジ防衛戦(4)、捉えられたリマウ部隊の処刑(8) …1日で4箇所巡ったよ 前編
またまた時差投稿。2021年2月18日にバス・徒歩で4箇所巡った日の話。
スタート地点はまずジュロン・クランジ防衛戦の碑から。シティからバスで1時間以上かかった…笑
HDBの中にあるとは聞いていたが、ご丁寧に看板が。
おお!と思ってこの看板のあるところをすぐ曲がったら迷ってしまった。
HDBの中をうろうろしてようやく発見。デデン!
この日はいい天気で、この碑を読んでるだけでふらふらしそうだった
英語
日本語
図を拡大
ここでイギリス軍が指令を誤解した事が日本軍がイギリスを降伏させることができた要因の1つだよなと。
他にも当時イギリスが対独戦に注力しててアジアが手薄だったとか色々あるとは思うけど…
ここ守れてたら結果は変わっていたのだろうか…どうかな。
石碑のすぐ近くにはこのバス停が…。最初に見つけた案内板で曲がらずにまっすぐ道なりに行ってすぐのバス停。
ここから入ればすぐだった…笑
ここからバスでドーヴァー方面へ戻る。ドーヴァー駅の南西の方向にユニヴァーシティ・タウンという所があり、
そこのバス停に記念碑があると。
イェール・NUS大学なるものが。イェール大とNUSが共同で設立した人文科学系の単科大学の模様。(Collegeだし)
この大学の北側のバス停のところに石碑が。
詳細はこちら。
処刑された将校達の写真までご丁寧に…
英語での説明。
日本語での説明。
ジェイウィック作戦については国立博物館の展示で知った。
ケッペルハーバーの石碑でも触れられている。
ジェイウィック作戦が成功したのは知っていたけど、それに次ぐ2回目のリマウ作戦があり、
さらには失敗していたとは知らなかった。もしかしたら博物館で読み飛ばしたのかな。
斬首ですか…合掌。
この後バスでブキパンジャン方面へ南下。(続)