猫、タイ暮らし、時々旅行

猫を覗く時、猫もまたこちらを覗いているのだ

アダムパークの戦い(24)(気づいたら5ヶ月経っていた)

9月から資格取得のための修行を始めたため、すっかりこちらがご無沙汰に。

細々と案内板巡りは続けているので、撮り溜めした写真を少しずつ整理していこう。

…何かアプリの編集画面の仕様変わった?

 

2020年9月上旬にリストの24番、アダムパーク近辺へ。

 

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わざわざ赴いた…のではなく、日本人会に向かう途中に寄ったというのが正しい。

日本人会からAdamRoadを挟んで向かい側、少し南下したあたりにこの看板が。

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この辺りが激戦区だった事を考えると、結構すごいところに日本人会って建ってるのね、と思う。

日本人会に足を運ぶ人の果たしてどれだけが、日本人会周辺が激戦地だった事を知っているんだろう。

日本語文だと「侵攻する日本軍」だけど英語だと「Japanese invaders」。

まぁ大意は同じだけど、侵略者って響きはズシンとくる。

日本軍のシンガポール侵攻が1942年2月8日だから、ほぼ79年前の今頃か・・・とか考え出すと、今の平和に感謝せずにはいられないね。

 

 

プンゴル海岸での虐殺(19)とコニー島

引き続き全30の案内板を巡るべく細々と活動中。

先日、ウォーキングも兼ねてNo.19のプンゴルビーチに行ったので記録。

 

North East Lineの終点プンゴル駅へ。

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快晴〜!

Googlemapを頼りにこのルートで行ってみる。

黒と赤の矢印は後述。

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てくてく歩いていく。

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遊歩道の様なところを歩いていく。

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いい感じの橋もあり。日の光が気持ちいい。でも暑い…

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歩いていたら何と行き止まり…ショック。

ここから上の地図の黒い矢印のルートで歩いていく。

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デーン。ここも行き止まり!!!

どうしよう、戻るしかないかなと思っていたら入り口で警備していたインド系のお兄さんが

「右に曲がって少し行って左に紛れば遊歩道に出られるよ」

と。でもその隣の中華系のアンクルは「行けないよ、引き返してぐるっと行くしかないよ」と…。

「いけるよ〜、引き返して迂回したらかなり遠いよ」と食い下がるインド系お兄ちゃん。

 

迷った結果、若いインド系の方のお兄ちゃんを信じて行ってみたら…行けた!

確かに、整備された道じゃなくて草むらを歩く形にはなったけども。

ありがとう!遊歩道に出た景色がこれ。いい感じ!

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走ったり自転車に乗る人もいて、地元民の散策コースになっているみたい。

 

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広々!右手に見えるはウビン島。左に見えるはマレーシア!

 

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おさる発見。

 

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いい感じに静か。そして思ったより海綺麗!

写ってないけど、砂浜から釣りをしたり、子供を泳がせている人がたくさん。

 

モニュメントはマップの終着地点、ジェティーの入り口のところで発見。

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日英内容が一緒なので訳は省略。

本の形のやつ(全20だった頃の)だと英語と日本語で内容違うものもあったけど、

全30に増えてからは同じ内容になってる?

 

こんな綺麗でみんながワイワイキャッキャしてるところで78年前は…って思うと

すごく複雑な気持ち。亡くなった方々のお骨は皆回収できているのだろうか…

奇しくもハングリーゴーストの時期。(≒お盆)

日本人もシンガポーリアンも楽しく過ごせる場所に生まれ変わっているこの場所を見て

ゴーストはどう思うんだろうか。でも亡くなった人はここには戻ってこないか。家族・親族のところに行くよな。

 

ここから歩いていけるコニーアイランドへも足を伸ばして。

堤の向こうがコニー島。

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入り口に7時〜19時のみとの記載。

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進む。

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木々!森!林!

深呼吸して、久々に木と土の香りを嗅ぐ。。。癒されるわ

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子連れのおさる。

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サリンブン海岸上陸ポイント(1)

せっかく島内の戦争石碑をめぐると決めたので、一番とされている地点へ行くことに。

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一番はSarimbun Beach Landing。

ほぼマレーシアだなぁ…どきどき。

Googleマップでも探せば出てくる。

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行き方を検索していざ出発。

シティで190番のバスに乗りブキパンジャンへ。

ブキパンジャン周辺で975番のバスへ乗り換え。

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HDBの中を通っていく、シンガポールならではって感じの景色。


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華人のお墓。お墓って民族性出るからいつも興味深く見てしまう。

バス越しでうまく撮れなかったけど、道すがらにユダヤ人墓地、クリスチャン墓地、ムスリム墓地もあった。


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チョアチューカンを越していくとだんだん軍関係の施設も増えてくる。
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立派な戦車がゲートに。

その後もずっとOld Choa Chu Kang Road沿いにバスは行くのだけど、

ずっと右側が軍事施設だったっぽい。

Google Mapに名前は載っていないけど、滑走路があるから恐らく軍かなと。

 

 

Opp Lim Chu Kang Lane5というバス停で降り、少し戻る。


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あんまり舗装されてない!しかも両脇は立ち入り禁止の看板。

ちょっと不安になりながらも進む。

15分ほど歩いたところで発見。

 

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On this mangrove-lined shoreline, Japanese forces launched their attack on Singapore.

Protected by heavy artillery fire, solders of the 5th and 18th Japanese divisions crossed the Johor Straits in a fleet of small boats on the night of 8th February 1942.

The first 2 waves of the Japanese troops were repelled by Allied troops of the Australian 22nd Brigate. However, the third Japanese wave broke through the Australian defenses to capture Tengah Airbase by the following morning.

 

このマングローブ茂る浜沿いに日本軍はシンガポールへの攻撃を開始した。

重火器

 


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ラブラドール砲台(10)とケッペルハーバー(12)

以前も書いたが、島内20箇所に戦争・戦跡について説明する石碑がある。

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今まで

15:YMCA脇(憲兵隊)

16:キャセイ脇(プロパガンダ放送拠点)

13:チャイナタウン(粛清 大検証)

17:エスプラネードパーク(インド国民軍)

は行ったものの、止まっていたので今日新たに5箇所目&6箇所目へ。

(14番、フォートカニングパーク何度も行ってるのに気づかなかった…どこなんだろ)

ということで

10:ラブラドールバッテリー

12:ケッペルハーバー

へ。まずは電車でハーバーフロント駅へ。

Vivoシティの中を抜けて海の見えるboard walkへ。

はじの方にひっそりと。なんと、本の形をしていないw

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もう少しアップ。

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“ケッペル港は、19世紀後半から国際貿易の海の玄関口として栄えています。

当時ニュー・ハーバーとして知られていましたが、1900年にヘンリー・ケッペル提督に敬意を表して

ケッペル港(ケッペル・ハーバー)と改名されました。

1939年から1940年代初めにかけて、連合軍の兵士が、シンガポールとマラヤの防衛を強化するためにこの港を使いました。

1942年2月15日にシンガポール陥落前には、何千人もの民間人と軍隊がケッペル港を通り脱出しました。

第二次世界大戦中、連合軍は1943年9月26日から27日にかけて、ジェイウィック作戦(昭南港爆破事件とも呼ばれる)を実行し、

ケッペル港に停泊していた7隻の日本戦を破壊しました。”

 

ジェイウィック作戦はナショナルミュージアムに動画があった。

連合軍に情報を漏らした奴がいるのではと疑って、日本軍が捕虜収容所で捕虜やローカルの勤め人を尋問・拷問した、と。

 

今は楽しいセントーサ島を臨み、買い物客がちょっと休憩する憩の場に…幾星霜ってかんじ。

 

そして今気づいてしまったけど…

石碑の数増えてない…?

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ここには30まで書いてある‥マジか…20じゃないのね…

全クリア目指そ。

 

さて、ここから歩いてラブラドール砲台を目指す。

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途中ずっと海沿いで気持ちよかった!

こんないい散歩コースあったのか、、、

 

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波の音が聞こえて素敵。

 

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謎の古めかしい階段。。。

場所的にはケッペルクラブの隅っこだけど。昔使ってたのかな。

 

そしてラブラドールパークへ。

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子供たちが遊ぶすぐ脇にこんなものが。。。

 

ここでマシンガンを撃って敵の上陸を阻止するのね。

 

“It was conceivable that the enemy might land commando-type units along the coast to put the Singapore guns out of action.

Thus the coastal guns had heavily fortified beach defences consisting of machine gun posts, search lights and barded wire. 

Any attempt to enforce a landing would have been very costly in terms of injuries and loss of life.

The machine gun bunker provided protection for the soldiers within.

The conditions in which they operated were very difficult.

The position was generally hot and cramped.

This bunker was sited to protect the 12-pounder guns on Berlayer Point-on the hill right above.

Another machine gun bunker is located behind the public toilet further down, along the foot of the hill.“

 

拙訳ですが…

 

シンガポール側の銃器を無効化するため敵軍が沿岸に奇襲隊を送り込むことが想定された。

かくして、マシンガンポスト、サーチライトと有刺鉄線でビーチの守りを堅固にした。

いかなる上陸実行の試みも、死傷者という点で犠牲の大きいものになっただろう。

機関銃掩蔽壕は中の兵士らを保護した。射撃中の環境は困難なものだった。暑くて窮屈であった。

この壕は、右の丘のBerlayer Pointにある12ポンド砲(おそらくこれ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/QF_12ポンド_12cwt艦砲 )を守るために作られた。

もう1つの機関銃掩蔽壕はさらに丘の下をいった先にある公衆トイレの後ろにある。

 

Berlayer Point、おそらくこれのことか。

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丘の上に何かがあるなぁと思って写真撮ってた。

ここに続くであろう道は立ち入り禁止になって、有刺鉄線が貼られていたので行けなかった。

 

っていうか本の石碑どこ?と思っていたらマップ発見。書いてあった。

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さて、一路本の石碑を目指して歩く。

 

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雰囲気のある道を通っていく。ずっとコンクリ舗装されてて歩きやすい。

 

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古くは1878年に設置され、種類やら数やら変更されていったらしい。

でも今の形式に沿う計画書が見つかっていないそうな。

 

もう少し歩みを進めるとついに登場。

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''In 1878 the British constructed an artillery fort on this ridge to defend the western entrance to Keppel Harbour.

On the end of World War II, Fort Pasir Panjang had two large six-inch guns.

These 37-ton guns fired 102-lb shells over a range of 10 miles.

The popular belief was that these guns were fixed to face only towards the sea.

However, they could be, and were, turned around to fire on advancing Japanese troops.

Fort Pasir Panjang on Labrador was one of a series of 11 coastal artillery forts by the British in the 19th century to defend Singapore's waters.

Other forts were on Sentosa, Palau Brani, Fort Canning Park and Katong.

These forts showed how the direction of potential threats to Singapore changed over the years."

 

1878年、イギリスはケッペルハーバーの西側を守るために砦をこの峰に作った。

第二次世界大戦の終わりにはパシルパンジャン砦には2つの6インチ大砲があった。

これら37トンの大砲は102ポンドの弾を10マイル先まで飛ばせた。

大砲は海側を向いて固定されていると広く信じられてきた。

しかし、実際は旋回可能であり、日本軍の進軍へ向けて向きを変えられた。

ラブラドールのパシルパンジャン砦は、シンガポールの海を守るためイギリスが19世紀に11箇所作った沿岸要塞のうちの1つである。

他はセントーサ島、ブラ二島、フォートカニングパークとカトンにあった。

これらの砦はシンガポール攻撃の想定脅威がどのようにして年月をかけて変わっていったかを示している。

 

確かに、日本軍の上陸は島の北西からだったし、そもそも19世紀にはまさか日本と戦争するなんて想像だにしていなかったろうな。

もう大砲を使って戦争する時代でもなくなってきてしまったけど、でもこうして残しておくのは大切。

昔何があったのかを知るきっかけになる。まさに私がやっているように。

長い道のりだけど、でも石碑がある場所全クリア目指そう。

 

日本人墓地公園 the Japanese cemetery park と アオタテハモドキ Junonia Orithya

来星3年目にしてようやく、日本人墓地公園に行ってきた。

そう、日本人墓地は墓地ではなく墓地「公園」。

公園内に可愛い感じの地図が。全体はこんな感じ。

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この日本人墓地は、シンガポールで亡くなった日本人娼婦(「からゆきさん」)の埋葬から始まったそう。

19世紀後半、農村・漁村の娘達は女衒に売られ、遠くシンガポールまで働きにきていたとのこと。

亡くなった娼婦はまともに弔われることもなく、それを哀れんだ実業家二木多賀次郎が

自らのゴム園の土地を使って埋葬したのが始まり。

その後、日本人の増加に伴い、在住日本人や軍関係者も埋葬されていった。

詳しくはこちら。

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入って直ぐ左手のところに「御堂」が。

おどうではなく、みどう。

もともとお寺だったものを、今は無宗教主義ということで特定の宗教に属さない「みどう」としたそうな。

宗教は違ってもきっと故人を思う気持ちは同じだろうし、埋葬された人もいろいろだろうしね。

イスラム教やキリスト教のお墓に埋葬されてこちらに改めて埋葬された人もいるとのこと。

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公園となっていることもあり、とてもよく整備されていて綺麗。

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こうして一部を切り取るとただの映えな景色だけど、

周りは墓地。

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でも、寂しい墓地より綺麗な墓地の方が亡くなった方も嬉しいかな。

可愛い墓守さんもいた。

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もう文字が読めない墓碑も多くあった。

この人にも日本に家族親族があったろうに、こうして異国で亡くなって、

墓碑も読めなくなって、体だけでなく誰かの記憶からもどんどん消えていってしまうようでなんだか悲しい。

 

戦争に際して亡くなった方の記念碑やお墓も。

日本に帰りたかっただろうなぁ。でもきっとお盆には日本に帰っているのだろうか。

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二葉亭四迷がインド洋上で客死してシンガポールで火葬されていたの、恥ずかしながら知らなかった。

これは墓ではなくあくまでも碑だそう。お墓は東京の染井霊園とのこと。

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お墓は鳥や蝶が沢山いた。公園だしね。

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花の蜜をすうアオタテハモドキ。

和名:アオタテハモドキ

学名:Junonia Orithya

英名:Blue Pansy

生息地:南アジア、東南アジアなど。日本だと沖縄周辺でも見られるよう。

 

Battlebox 英連合軍地下要塞

Circuit BreakerもPhase2に入ってしばらく経ったけども、

気づいたらBattleboxが再オープンしていたので訪問した。

BattleboxはWWII当時イギリス連合軍が使っていた地下要塞。

普段は目の前の建物(今のHotel Fort Canning)がイギリス連合軍の極東司令部だったけども、

日本軍の侵攻が進むに従って地下要塞に移動したそう。

詳細は↓

https://www.battlebox.com.sg

https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294265-d9859121-Reviews-Battlebox-Singapore.html

 

Hotel  Fort Canningはこちら

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入場料は15ドル。

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自由に出入りはできず、20分おきにガイドに伴われて入場する。

まずは受付で入場料を支払い待機。

最初にガイドさんによる挨拶と簡単な説明、そしてBattle of Singaporeのまとめビデオを鑑賞したのちに移動するスタイル。

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ビデオの中の1シーン。パーシヴァルら英連合軍首脳が1942年2月15日早朝、日本に降伏するかどうかを決めた会議の再現シーン。

ガイドさんには「このシーンをよく覚えておいてくださいね、これから行きますから」と言われる。

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待合場所にはこんな地図も。日本軍の侵攻経路がよくわかる。今日本人会があるあたりは最前線だったんだな…なんて。(Adam Road)

 

Battleboxへの移動中、インド系のガイドさんと会話。

日本人?何年いるの?シンガポール好き?などの会話をして、ガイドさんが徐に一言。

 

「中には日本に関する展示や説明が沢山ある。

でもこれは当時の日本軍に関するもので、今の日本の事ではない。

これは歴史です。」

 

気遣い半端ない。。。涙

シンガポールは侵略されて被害を被った側なのに、

こうして過去の出来事を受け入れて、飲み込んで、

「今の日本のことじゃないよ」って言えるの、本当に凄いと思うし、ありがたい。

 

残念ながら中は写真撮影禁止。

代わりに、パンフに掲載されている地図を。

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でも当時の作戦室や会議室をリアルに再現した部屋(with蝋?人形)もあり、

また戦争の経緯や経過を説明するための部屋もあり、

また当時の手洗い場がそのまま残っている部屋もあり、

とうぞのトイレもそのままあり、

また占領後日本軍がこの要塞を使用した際に壁に直接書いた落書き?メモ書き?も保存されており。

生々しさは十分伝わる仕様だった。

 

そして極寒。上着必須。

 

内部はこちらのMamoru Morimotoさんという方が撮影可能だった時代のものをまとめているのでご参考まで。

めっちゃよくまとまってて参考になる。ここに書いてあるところ全部後追いで行ってみたいな

(ページの下の方にあり)

oldbattlefield.web.fc2.com/19420208_BattleOfSingapore.html

 

こう言った戦跡や博物館の展示だと明確に日本占領時代は暗黒時代とされているけども

でも毎日の生活で日本人だからといって嫌な思いはした事は一度もない。

島内には雑貨であれ飲食であれ、日系のお店が沢山あって、ローカルのお客さんも沢山いる。

こちらが日本人だとわかると片言の日本語使ってくれる人がいたりする。

これがどれだけありがたいことなのか、そしてここに至るまで戦争経験者の世代がどれだけ辛い思いをしながら戦中・戦後を乗り越えてきたのか、

シンガポールに住んでる日本人はそういうところに一度は思いを馳せるべきだよなと思ってる。

 

 

白腹海鷲 White Belly Sea Eagle

Eagleと聞くとフィギュアスケートのスプレッドイーグルという技を思い浮かべてしまう私ですが、

なんとFort Canning Parkにワシが住んでいるそうな。

 

三脚もないしでうまく写真撮れなかったけど…

 

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和名:白腹海鷲

英名:White Belly Sea Eagle

学名:Haliaeetus leucogaster

タカ目タカ科ウミワシ属。

WikipediaにはWhite Billedって書いてあったけど一緒に写真撮ってたおじさんが

「White Belly Sea Eagleって言うんだよ。ほら、BellyがWhiteでしょ?」って言ったいたのでそれを信じる。

WhiteなBellyはこちら。

 

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ホワイトベリーって聞くとかつて流行った女子バンドを思い出してしまう。(世代)

 

この巣にいる子たちはまだ幼鳥だそうで、私が行くタイミングではいつも親鳥は狩りにでている。

おじさん曰く、シンガポールで最も大きいワシだそうで。

Fort Canning GreenをGothic Gateから出てすぐのところで一眼レフおじさんたちは写真を撮ってるのでいけばわかるはず。

 

早く私も三脚買おう。