猫、タイ暮らし、時々旅行

猫を覗く時、猫もまたこちらを覗いているのだ

シンガポール戦跡巡りまとめとブログ方針転換

これまでパラパラと上げてきた戦跡巡り、現状をまとめてみた。

黒太字が既に訪れたところ。

30カ所中、きちんと行ってブログにまとめられたのは22カ所。

 

1 Sarimbun Beach Landing 

2 Battle at Kranji Beach

3 Withdrawal to Singapore(Admiralty近辺。いけずじまい)

4 Jurong-Kranji Defence Line

5 Bukit Batok Memorials

6 Battle at Bukit Timah

7 Force 136 (Lim Bo Seng’s Burial Site)

8 Execution of Captured Rimau Commandos

9 Battle at Pasir Panjang

10 Labrador Battery

11 Sentosa Beach(ゴルフ場の中らしい)

12 Keppel Harbour

13 Sook Ching Inspection Centre

14 Fort Canning Command Centre

15 Kempeitai East District Branch

16 Japanese Propaganda Centre

17 Indian National Army(ここ行ってたのに!!!写真撮り忘れてあげられず。エスプラネードパーク内)

18 Seletar Airfield(Seletar空港の近く。行けずじまい)

19 Punggol Beach Massacre

20 Changi Beach Massacre

21 Pulau Sejahat

22 Johore Battery(チャンギ空港近く。行けずじまい)

23 Changi Murals(チャンギ空港近く。行けずじまい)

24 7 Adam Road (Battle at Adam Park)

25 Sime Road Machine-gun Pillbox(マクリッチー付近。26、27と併せて行っておけばよかったと後悔。)

26 Sime Road Camp

27 Shonan Jinja

28 Havelock Road Camp(ここも近いから後回しにした結果写真とれずじまい。明治屋の近く)

29 Alexandra Hospital

30 Pasir Panjang Machine-gun Pillbox

 

やっぱり先延ばしはよくない。17と28はいつでも行けるから〜と後回しにした結果行けずじまいにになってしまった。

 

どうして行けずじまいなのか。

それは、もうシンガポールにいないから。涙

2021年中にタイ・バンコクに転居しました。

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転居を機に、しばらくはバンコク生活を中心に記事書いていこうかと。

ちゃんと読んでくれる人を想定した文章で。笑

なんならブログのタイトルや自分の名前も変えようかと。

 

でも勿論、シンガポールの歴史や植物の写真はまだまだあるので

時折シンガポール懐古投稿もしようかな。

 

コロナが終息してシンガポールへ自由に行けるようになったら、

全コンプの夢を果たすべく引き続き戦績巡りします。

 

タイにも戦績ありますからね。泰緬鉄道とか。

そういう活動も引き続きしていきたいです。

フォートカニングコマンドセンター(14)

またもや時差投稿。

家がフォートカニングパーク近辺で何度も訪れていたので逆に投稿するタイミングを失ってた…。

 

フォートカニングパークの石碑はバトルボックスの扉やSally Portのすぐ近くに。

バトルボックスを訪問した際の記事はこちら。

https://paulinasg.hatenablog.com/entry/2020/08/09/163532

 

フォート・カニング・コマンドセンターは、えんぺい壕(バンカー)とトンネルでつながった地下要塞でした。

1930年代後半に建設され、マラヤのイギリス軍と連合軍の司令部および統制センターとして機能していました。

第二次世界大戦中、マラヤ司令部はこのコマンドセンターで軍事作戦を展開し、1942年2月15日にはアーサー・パーシバル中将とその指揮官が、最終的にシンガポールを日本に引き渡すことを決定したのもこの場所でした。

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これはバトルボックスの扉。でも今は入退場には使われてない。
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近くに咲いていたイランイラン。
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ホテルフォートカニングにも泊まってみたかったな。

 

植え込みの中にあるからか、意外とこの石碑存在感がない。

見てみようと思わないと気づかないかも。

ランニングやヨガ、子供と遊ぶためなどいろいろな目的で日本人も沢山訪れるこの公園。

ぜひ機会があったらバトルボックスも訪れてほしい。

 

クランジ海岸の戦い(2)

またもや時差投稿。

Kranji Beach Battleの石碑へは2021年6月に訪問。

ワクチン接種が始まるのを今か今かと待っていた頃でした。懐かしい。

 

場所はあの「ワニが見られる(かもしれない)」で有名なスンゲイブロウのお隣。

おそらく車で行く人が多いのでしょうが、そこは旅行気分であえてMRTとバスで。

赤ラインでKranji駅までいき、そこからバスに乗車。

Kranji駅の激安チキンライス、食べておけばよかった。確か2.5SGDとかだった。

どんな味だったんだろう…

 

バスに揺られて到着。

シンガポールじゃないみたい!普段いかに自分が街中だけにいるか痛感。

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看板に従って歩いていく。
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中はちょっとした公園のような感じ。

ベンチがちらほらと。
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あった。
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全景
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1942年2月10日朝、侵攻する日本軍が干潮に乗じてこの海岸線に上陸した。

泥に足をとられた将兵らは英軍が流した油の中で立ち往生した。第1陣は英軍が油に放った火によって撃退された。

しかし、サリンブンとジュロンに上陸しつつある日本軍に退路を断たれる恐れから、英軍連合部隊に南方退却が命じられた。

こうして日本軍は上陸を果たし、シンガポール侵攻の足場を固めた。

 

シンガポールにしては珍しく(?)日本語文に誤字がある。(上は修正済み)

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ここまで来たので、お隣のスンゲイブロウへ。

2021年6月当時は最大5人までしか外で集まれなかったはずだけど、5人以上のグループもちらほら。

田舎だし広々とした空間だから、大丈夫かなって思う人もいたよね。

 

これ、フォートカニングパークにも咲いていたショウガの仲間の花。

フォートカニングで発見した時の記事はこちら

https://paulinasg.hatenablog.com/entry/2020/05/03/004408

刻んでラクサに乗せたりするらしい。綺麗。
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マレーシアが見える!!!

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コウモリが隠れてた。
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カワセミ。多分ナンヨウショウビン。
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お馴染みのトカゲ。ワニには出会えず。残念。
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海外のビーチには敵わないけど、やはり水辺は美しいし癒される
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やっぱり街中だけにいたらつまらないけど、時折こうやって島内で遠出するのも大事だね。

 

パシル・パンジャン機関銃トーチカ(30)、パシル・パンジャン攻防戦(9)、アレクサンドラ病院(29)…1日で4箇所巡ったよ 後編 (といいつつ結局5箇所)

前回投稿からめっちゃ時間が経ってしまった。というか年を越してしまった笑

 

2021年の2月に一気に4箇所訪れた時の記録。ほぼ1年前か…

 

前編はこちら。

https://paulinasg.hatenablog.com/entry/2021/05/17/133943

 

「リマウ部隊の処刑」ポイントから更にバスで南下し、パシル・パンジャン方面へ。

パシル・パンジャントーチカは戸建てや上品なコンドの並ぶPasir Panjang Road沿い、割と閑静な住宅街の中にある。

シェル石油あたりのバス停で降りて…

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歩いてすぐの交差点にドン
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ぐるりと歩ける様になっています
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お馴染みの看板がこちら。30番です
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Southern Areaの守りの解説。
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トーチカの説明書き。元々イギリスは島の南側からの攻撃を想定していたんだよね、確か。

 

トーチカは、1930年代にシンガポールで戦闘が起こった場合の、イギリスによる準備の一環として、シンガポールの沿岸防衛を強化するために建設されました。

トーチカにはマシンガン(機関銃)が装備されており、それぞれの射界が互いに重なり合い強化されているという戦略的な間隔で配置されています。

パシル・パンジャン機関銃トーチカは、マレー連隊の第1大隊が守った地域にあり、第1大隊は後にパシル・パンジャン・リッジで、侵攻する日本軍と闘いました。

このトーチカは、アレクサンドラ軍用病院や弾薬庫などの主要施設があった南部地域を保護する役割も果たしました。

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ここから更にバスに乗り、「パシル・パンジャン攻防戦」の碑のあるケントリッジパークを目指します。

South Buona Vista Road沿いの入り口から入るつもりで意気揚々と移動したものの、

バス停を1つ間違えて降りてしまった。。。

 

山の中。
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ジャックフルーツ?
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モリモリのバナナ
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ようやく本来入るつもりだった脇道まで戻りました。
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良い眺め!
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丘の上にて発見。
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シンガポールの最後の攻防戦のひとつがこの丘で繰り広げられた。

1942年2月13日、日本軍第18師団はここを守備するマレー連隊、英国第2砲兵連隊、第44インド人旅団を攻撃した。

マレー連隊は48時間にわたり陣地を死守した。最後の生き残りとなったマレー連隊C中隊の数人が持ち場を放棄したのは全滅の直前であった。
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今はベンチもあり、海側へ向かって良い眺めが楽しめる憩いの場に。

ここで激しい戦闘があったとは…

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いい天気…
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そこから帰路へ着くつもりが、頑張ってアレクサンドラ病院までいこうと決意。

徒歩で公園内を抜けていく

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リス!
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バナナの花とBabyバナナ達
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よく「海外のすごい建物」としてTwitterでも話題になるあのコンド“Interlace”

よく指を組むときに"interlace your fingers"っていうけど、そんな感じ
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アレクサンドラ病院へ。いざ来てみたら何度もスポーツ用品を買いに来てたクイーンズウェイSCの近くだった。

もっと早く来れてたな…

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中を抜けてウロウロ。なかなか碑が見つからない
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お!!あった
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石碑全景
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1940年に開設されたアレクサンドラ病院は、1908年ごろに設立された初期のアレクサンドラ兵営病院敷地内にあります。

この新しい軍用病院は、駐屯するイギリス軍が、シンガポールで戦争が起こった場合に備えて増員されたことを受けて開設されました。

戦闘がこの地域に達した1942年2月14日、この病院は日本軍に攻撃され、2日間で約300人の患者と医療従事者が殺害されました。

第二次世界大戦後、病院は再びイギリス軍に占領され、1971年にシンガポール政府に譲渡されました。

病院はアレクサンドラロード病院と改名され、その時点でシンガポールで3番目の総合病院となりました。
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病院までガッツリ攻撃してたんか…とがっくり。

更に1日よく移動しよく歩いた疲れもあり更にがっくり。

何だかとっても疲れて帰宅したのを覚えてる。

ほんと、石碑巡りすればするほど、今の平和な暮らしがいかにありがたいものか身に染みる。

ジュロン・クランジ防衛戦(4)、捉えられたリマウ部隊の処刑(8) …1日で4箇所巡ったよ 前編

またまた時差投稿。2021年2月18日にバス・徒歩で4箇所巡った日の話。

スタート地点はまずジュロン・クランジ防衛戦の碑から。シティからバスで1時間以上かかった…笑

HDBの中にあるとは聞いていたが、ご丁寧に看板が。

 

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おお!と思ってこの看板のあるところをすぐ曲がったら迷ってしまった。

HDBの中をうろうろしてようやく発見。デデン!

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この日はいい天気で、この碑を読んでるだけでふらふらしそうだった
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英語
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日本語
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図を拡大

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ここでイギリス軍が指令を誤解した事が日本軍がイギリスを降伏させることができた要因の1つだよなと。

他にも当時イギリスが対独戦に注力しててアジアが手薄だったとか色々あるとは思うけど…

ここ守れてたら結果は変わっていたのだろうか…どうかな。

石碑のすぐ近くにはこのバス停が…。最初に見つけた案内板で曲がらずにまっすぐ道なりに行ってすぐのバス停。

ここから入ればすぐだった…笑

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ここからバスでドーヴァー方面へ戻る。ドーヴァー駅の南西の方向にユニヴァーシティ・タウンという所があり、

そこのバス停に記念碑があると。

イェール・NUS大学なるものが。イェール大とNUSが共同で設立した人文科学系の単科大学の模様。(Collegeだし)

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この大学の北側のバス停のところに石碑が。

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詳細はこちら。

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処刑された将校達の写真までご丁寧に…
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英語での説明。
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日本語での説明。
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ジェイウィック作戦については国立博物館の展示で知った。

ケッペルハーバーの石碑でも触れられている。

ジェイウィック作戦が成功したのは知っていたけど、それに次ぐ2回目のリマウ作戦があり、

さらには失敗していたとは知らなかった。もしかしたら博物館で読み飛ばしたのかな。

斬首ですか…合掌。

 

この後バスでブキパンジャン方面へ南下。(続)

 

サイムロード・キャンプ(26)と昭南神社(27)

引き続き時差投稿を…

 

 

2021年2月、CNY休みに再びマクリッチーへ。

1周10キロ、良いウォーキングコースなので好き。

 

何度見ても日本を彷彿とさせる橋

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昭南神社、かつて神橋がかかっていた時の基礎(?)
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正面から。
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昭南神社の案内板。メインの歩くコースからは少し離れたサイムロードとアダムロード(とLornie roadの境目)のところにある。
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その隣にはサイムロード・キャンプの案内板。
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泰緬鉄道建設に駆り出される捕虜の一時的な居留地になっていたとのこと。

インドネシアからもシンガポール経由で捕虜が泰緬鉄道建設要員として送られていたのは『思い出の昭南博物館』で知ったのだけど、

アジア各地を転々としながら移送されて…というのを想像すると胸が痛む…

 

奇しくもこの日は2月12日で、79年前のその頃はブキティマやパシルパンジャンで激戦が繰り広げられてたんだったと思う。

そんなことを考えているとあんまり浮かれ気分で歩けない散歩だったけど、毎度ながら今ある平和のありがたさを噛み締めた。

136部隊(林謀盛埋葬地)(7)

またまた時差あり投稿。2020年12月下旬にマクリッチーリザバーへ。

緑が濃いね。

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謎のふわふわの虫。

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昭南神社跡地の近くにある、水門の跡らしきもの。

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しれっと蛇がいてびっくり。鮮やかな緑色が美しい
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今回はセントテレサズホームの方(山道の方)から歩いたので、リンボーセンのお墓までおおよそ10キロ。

3時間くらい歩いた終点のジグザグブリッジのそばにあった。
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「136部隊は、イギリスが組織した特殊工作部隊であり、第二次世界大戦中のマラヤで活動した。

英国がマラヤとシンガポール支配権を日本から奪回するために対日サボタージュを行い、諜報網を確立するために組織された。

諜報部隊の一人であるリム・ボー・セン(林謀盛)は、1943年、136部隊のグスタフV作戦を率いていた。

1944年、彼は憲兵隊に逮捕され獄死した。35才だった。

彼はマクリッチ貯水池のほとりにあるメモリアルで眠っている。」

 

…林謀盛、確か記念碑がエスプラネードパークにもあったような。

と思って調べたらやはりあった。ソースはWiki

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Lim_Bo_Seng

お孫さんはSport  Singapore(体育協会みたいな)のCEOだそう。
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お墓。丘の上にあって眺めが良い。

お墓からの眺め、写真撮ればよかった。