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旧日本軍 宣撫・宣伝工作本部(16)

Circuit Breaker(外出制限)中の日々ではあるものの、散歩を通じて少しずつ島内の記念碑を訪れている。

3つ目は”Japanese Propaganda Department Headquarters”、旧日本軍の宣撫・宣伝工作本部に使われたビルについて。

 

場所:2 Handy Road, 229223 Singapore

最寄駅:Dhoby Ghaut 

 

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 The Cathayはショッピングモールとコンドミニアムが入っている建物。

1939年の建設当初は、エアコン完備の映画館と住居を備えるシンガポール初の高層ビルであった。

その後第二次世界大戦の開戦後に政府とBritish Malaya Broadcasting Corporationに貸し出された。

その後日本軍のシンガポール攻略により日本軍が使用する事となった運び。

 

今はコンドミニアムやモールこそ新しい建物ではあるが、ファサードは建設当時のまま。

このビルの脇に石碑が建っている。

 

正面から見た姿はこちら。他の碑同様、向かって左が英語、右がマレー語、中国語、タミル語、日本語。

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右側、英語での説明文。

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「日本の占領以前には、キャセイはBritish Malaya Broadcasting Corporationが入居していました。

占領期間中、日本軍はこの建物と設備を接収し、ここから市民に対し宣伝放送を発信していました。

当時、連合国側の報道の視聴は禁じられていました。

多くの人々が日本側の放送を視聴することを拒み、リスクを背負いながらも秘密裏にBBCを視聴していました。

戦後は、日本の降伏文書に調印したマウントバッテン将軍(海軍元帥)の司令部として使用されました。

 

こちらは4ヶ国語版。

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Fort Canning Parkには英連合軍の司令部があったし、1回目に書いたYMCAもThe Cathayのすぐそばにある。

YMCA同様、この石碑もポケストップになっているのでポケgoユーザーは一発で発見できるはず。